2020.05.11
【経歴】
昭和14年生まれ・埼玉県出身
松井如流に師事
昭和56年サロンドートンヌ展入選
香葉書道会主催
産経国際書会運営委員
【すみのあとスタッフより】
遠藤様、何度も訪問させていただき誠にありがとうございました。また、貴重な書道具をご売却いただきまして、厚く御礼申し上げます。現役の書道家である遠藤先生から書道に関するお話も聞かせていただき、大変勉強になりました。及ばずながら価値ある書道具を次世代に伝えるよう、一層努力させていただきます。
書道具は大変種類が多く、価値を判断することが難しいジャンルでもあります。
銀座古美術すみのあとは東京美術倶楽部の交換会に所属している古美術商であるため、
リサイクルショップと違って高価な墨の価値を見極めることができます。
また、創業40年の実績があるため、多くの顧客、業者と精通しており、国内・国外のオークションでの販売実績もあります。
そのため、販売ルートも非常に多く、高価買取が可能です。
ご自宅に眠っている価値のわからない墨がありましたらお気軽にご相談ください。
【経歴】
昭和14年生まれ・埼玉県出身
松井如流に師事
昭和56年サロンドートンヌ展入選
香葉書道会主催
産経国際書会運営委員
【すみのあとスタッフより】
遠藤様、何度も訪問させていただき誠にありがとうございました。また、貴重な書道具をご売却いただきまして、厚く御礼申し上げます。現役の書道家である遠藤先生から書道に関するお話も聞かせていただき、大変勉強になりました。及ばずながら価値ある書道具を次世代に伝えるよう、一層努力させていただきます。
墨は書道家にとって文房四宝の中でも最も大切な書道具の一つと言えます。また墨は当然ですが使ってなくなるものです。墨のコレクターでもあった書道家宇野雪村は「墨は墨身を減らすことによってのみ己の務めを果たしうる」と最大限の賛辞を送っています。硯、筆は摩耗しつつもその形は残り紙は作品として残りますが、墨は役割を終えると消失します。
そういう意味では墨とは儚くも美しい存在かもしれません。ここではそんな墨の売り方について説明します。
墨の値打ち、価値を判断する基準として時代性があります。見た目にも「古い」墨で「箱書き」がある墨は高価買取が期待できる可能性があります、書道具に限らず骨董品もそうですが時代の経っている書道具は一般に希少性があり価値があるとされております。
墨は書道家の方や画家、特に南画家のかたがよく所持されており遺品整理、終活など様々な場面で売却について考える方が多いと思います。一般に書道具に限らず物を売る場合はフリーマーケットやネットオークションが考えられます。しかしながらフリーマーケットは値段の設定が難しくメルカリ、amazonなどのネットオークションでは画像、発送の手間、手数料がかかります。リサイクルショップでは高価な古墨の査定をすることが難しいでしょう。「また現代墨ならともかく古墨(100年以上前に製作された墨)の場合、実際手に取って状態を判断しない限り正確な査定は難しい面もあります。また墨は保存状態が良くないと壊れてしまうため発送などでトラブルになりがちです。
そういった意味では墨は非常にデリケートな存在です。私も何度も経験しておりますが20年以上経った墨は壊れやすく扱いも慎重になります。ですが時代が経った墨は発墨も良く書道家や墨のコレクターに人気があります。古墨は専門の業者でないと査定が難しく、扱いも気軽にできるものではありません。
墨は一点一点が小さく詳しくない方にとっては価値がわかりづらく、また扱いも慎重にならなければいけないため専門の業者に頼むことが肝要かと思われます。書道具買取専門すみのあとでは墨の扱いに長年の経験と知識があります。また墨は書道家の方にとって自身の作品を預ける大切な伴侶でもあります、その想いを胸に墨の査定に臨みたく思います。墨に関しては使用済みの墨も処分される前にご連絡ください。ご自宅に眠っている価値の分からない書道具がございましたらお電話でもメール、ラインでもお気軽にご相談ください。
業者によって変わります。「書道具買取専門すみのあと」では全国主張、査定すべて無料です、お気軽にご相談ください。
現代墨であれば墨がどれだけ残っているかにもよります。私の経験上多くの書道家の方は墨を使用するために購入しているので使いかけの墨が殆どです。それでも数がある場合は査定が可能です。あきらめずにご相談ください。
墨は古墨と現代墨で価格差に幅があります。現代墨であれば墨運堂、呉竹精昇堂などの老舗の墨は人気があり数千円~取引されております。古墨であれば内容に寄りますが数万円~100万円くらいまでの幅があります。
墨は古墨だけではなくすり減ってなくなる消耗品でもありますので基本的に需要があります。新しい墨であれば未使用が望ましく内容によっては当時の値段に近い価格でも取引されております。古墨であればそのままの状態で査定、新しい墨で未使用であればそのまま査定に出すことが高価査定のポイントになります。
唐墨に関しては主に古墨(製作から100年以上経った墨)が最も価値があり内容によっては100万円以上の査定ができる墨もあります。また製作されてから20から30年経た墨は発色もよく書道家の間で珍重されております。しかしながら原材料の膠の内容にもよりますので古ければ売れる、というわけでもないので一概には言いきれません。
墨の歴史は紀元前殷時代(BC1766~1122)が発祥ですがこの時代の墨がどのように製作されたのかははっきりとわかっておりません、甲骨文字に使用されたのが始まりと言われ、罪人の記号や祭祀に使われていたと言われております。占トには亀甲と牛骨が用いられてました。それは当時の祭祀と軍事の重要な役割を果たしていました。それらを焼成して割れた亀裂の入り方によって吉凶を判断したようです、その甲骨片の中に朱や墨で書かれたものがあり、それが墨の歴史となりました。ここから墨の骨董品、古美術品としての歴史が始まります。
墨の普及
その後、春秋戦国、秦時代を経て後漢に祭倫が紙を発明し、硯、墨、筆、紙の文房四宝の原型が揃い飛躍的に墨が普及します。それまで竹、木片に書かれていた文字が紙に書かれるようになり篆書から隷書に変化しさらに文字が発展します。墨自体も液状のものから固形に変化を遂げ持ち運びができるようになります。文字の発展は墨、紙の発展とともにあります。墨の歴史が飛躍的に発展したのは唐時代に墨匠が出現したことにより大きな発展を遂げます、張遇、、奚超らが墨匠として有名ですが名前は文献にのみ残り製品は残っておらずはっきりしたことはわかっておりません。ですがこの時代に墨を製作する作家が現れたことによりその後の李廷珪によって製作された墨は文献によると墨造りの元祖として称賛されております。また日本に残る最古の墨は正倉院にある舟形墨で唐時代の玄宗皇帝の年紀が入っている、という点で貴重な資料となっております。
墨の発展
その後宋時代には文人趣味の時代でもあり使用する墨から鑑賞する墨が製作されるようになります。を経て明時代に墨はさらなる発展を遂げ李考美による「墨譜」によると現在の墨の制作工程にほぼ近い方法で製作していたことが伺えます。
しかしながら現存する墨を目にできる機会はやはり明時代以降になります。また明墨は質、量ともに墨の最高峰といって良く、特に宣徳帝から万暦帝の時代は明が世界史的にも空前の繁栄をしていた時代で多くの工芸品が製作されていた時代でもあり程君房、方于魯、方瑞正らによって名墨が製作されました。また両者の遺した墨譜である「程氏墨苑」と「方氏墨譜」は貴重な墨の資料でもあり現在でも両者の墨を倣った作品が非常に多くあります。
またこの時代の墨は尾張徳川家に輸入され徳川美術館に500挺もの古墨が収蔵されております。清朝期は康熙、雍正、乾隆の時代に最盛期を見せ当時の皇帝は多くの墨、工芸品を製作させております。特に乾隆帝は熱心で、曹素功、汪近聖、汪節庵、胡開文などの名匠に製墨を命じます。
墨の現在
その後曹素功、胡開文は墨の店舗を経営し全国各地に出店し現在も倣古墨として購入することができます。しかしながら墨匠本人が健在で製作していた墨と人民公社が支配した文化大革命期以降との墨は似て非なるものと言わざるをえず、製品に相当の開きがあります。
これは大量生産品と一点ものの違いかもしれません。ともあれ墨は古墨の現存数が当然ですが年々減っているためその希少性は今後も増していくものと思われます。
日本では墨の伝来は奈良時代ころではないかと言われており、おそらく紙が伝来したころと同時期ではないかと言われてます。江戸期には明は衰亡し多くの遺臣が日本に亡命し日本文化に墨、掛け軸作品に影響を与えました。その立役者は黄檗宗の隠元、即非、独立らの掛け軸作品ですが、彼らによって多くの明墨がもたらされたであろうことは容易に推察ができます。当時の中国文化はキリスト教や江戸幕府の押し付けの儒教文化と違いエキゾチックな憧れがあったかもしれませんね。
中国から渡来した墨は亡命した遺臣の成果もあり、掛け軸作品、古美術品、茶道、硯、墨を中心とした書道にも大変な影響を与え、特に端渓硯、唐墨、唐筆、印材は徳川家を始めとした大名や豪商のコレクションとなりました。
また市河米庵、貫名菘翁ら江戸時代の書家として双璧をなした二人は墨を始めとした書道の熱心なコレクターであり研究者でもありました。当時の市河米庵の消息、書籍には乾隆墨を気に入って使っていたという記述があります。杉並区で30年以上、書道を中心とした墨、硯、掛け軸、書籍等の買い取り業務を行っておりますが現代の書道家の方からも乾隆墨に対する熱いお話は書道の査定、ご売却の際によく伺います。現代でも人気がある乾隆墨は江戸期の書道家にも愛されていたという事実は興味深いです、書道の墨一つではありますが歴史のロマンを感じますね。
このように紀元前から使用されていた墨ですが日本と中国は当時の国勢状況により持ちつ持たれつの関係であったようでそれは現代でも変わりません。
墨は書道の素材としても小さく、擦り減ってなくなってしまうものですが紀元前から中国と日本を結び付けていた儚くも存在感のある古美術品ですね。
最後に日本トップクラスの書道家であり墨の熱心なコレクターでもあった宇野雪村の墨に対する熱い文章を紹介することでこの買取り品目(墨)の紹介を終わらせていただきます。
「筆や墨は硯や紙に比べて消耗の激しいものである。特に墨は墨身を擦り減らすことによってのみ、己の務めを果たしうるという悲しい宿命を持っている。墨は愛されることによって身を亡ぼし、自己を抹殺することによって生命を顕現するという矛盾の上に成立している。」宇野雪村著「古墨」
墨は古来より保存が難しく乾燥したところに置くとヒビ割れてしまい、湿気に弱く、壊れやすいという側面があります。そういった墨を歴史に残すため墨匠や墨の蒐集家が写真のない時代に墨の図録を遺しております、墨の種類を把握するには墨譜を調べることが大事になります。
墨は古来より保存が難しく乾燥したところに置くとヒビ割れてしまい、湿気に弱く、壊れやすいという側面があります。そういった墨を歴史に残すため墨匠や墨の蒐集家が写真のない時代に墨の図録を遺しております、墨の種類を把握するには墨譜を調べることが大事になります。
■墨匠が記した書籍
方氏墨譜(方干魯)、程氏墨苑(程君房)、曹氏墨林(曹素功)
■蔵墨家の蔵品を図録とした書籍
知白斎墨譜、四家蔵墨図録、墨譜方式、中舟蔵墨録
■墨の研究書
墨譜方式(李孝美)、広倉硯録(趨適魯)
現在は明時代の墨が古墨として高い評価を得ていますが墨の保存、印刷技術などを鑑みますとこの時代の墨の図録を当時遺すことは非常に困難だったと思います、そういった中で方干魯自身による初の墨の図録である「方氏墨譜」は極めて重要な資料です、また墨の図録自体が歴史上初の試みでもありそういう点も意義が深いです。原本を手に入れることは難しいですが復刻版は同朋社など多くの出版社から出ており当時の墨の歴史を知ることができます。また「程氏墨苑」では程君房の製墨を得ずにしたずろくでありますがキリスト教関係の図や当時の文人の筆跡もあり当時の文化を知る資料としても貴重な書籍です。
墨の原料である煤の種類は以下に分かれます
油煙墨:日本で開発され、原料に菜種油、胡麻油などが用いられます。
松煙墨:中国で開発され松の木片を燃焼させて煤を取ります。青みがかかったものは青墨といわれます。
朱墨:朱粉を膠で固めたもの、かつては高価でした。
日本の製墨会社
墨運堂:創業1805年の老舗、アメリカにも支店を持つ。「百選墨」など記念関係の墨もある。
呉竹精昇堂:明治35年創業、筆ぺんなどのヒット商品もありカリフォルニアに現地法人を持つ。
古梅園:創業1577年、日本最古の製墨会社。
他には一心堂、玄林堂、進誠堂など多くのメーカーがありますが日本の製墨は8割が奈良県です。これには歴史的背景があり7世紀の飛鳥時代に国としての体制が確立し官職を定め法律を発令するにつれて書の文化も発展しました、当然ですが政治の中心で書の文化も発展します。その後奈良~京都と政治の中心が移るようになります。そのような時代に合わせながら当時は輸入する国力もないためその土地で墨の文化が発展しました、しかしながら政治が京都に移っても多くの寺社が奈良にあったため製墨は奈良で続けられた歴史があります。歴史的には千年以上の墨の文化が奈良にある、ということになり現在も日本一のシェアを持っております。