丹羽海鶴
丹羽海鶴(本名正長)は文久3年岐阜県恵那郡田瀬村(現中津川市田瀬)に生まれます、杉並区で30年以上買い取り、査定をしています当社も岐阜県に伺うことがあります。特に岐阜市は織田信長、斎藤道三の城下町として栄えた歴史があり、硯、掛軸などの書道の道具を買い取り、査定させていただくことがあります。そんな岐阜県生まれの丹羽海鶴は子供のころから書道に嗜み熱心な書道研究をしており、飛騨高山で教鞭を執る傍ら書道関係の勉強を熱心にされていたようです。日下部鳴鶴に師事し、書家としての人生をスタートさせます。日下部鳴鶴門下ですので中国六朝の書風を研究してましたが褚 遂良を習い「孟法師碑」を彷彿させる書道作品を制作しております。また当時の学校を始めとした書道教育界に受け容れられ東京高等師範学校、学習院、文部省教員検定試験委員などを歴任しております。主な弟子には鈴木翠軒がいますが丹羽海鶴の尋常小学校の教科書を忠実に墨守しています。他の弟子としては田代秋鶴、大石隆子、藤原鶴来、原田鳴石、水島望鶴らを輩出し後進の教育に熱心な書道の活動を行った後67歳で逝去します。
丹羽海鶴は書道界では「鳴鶴四天王」として名を馳せており他の渡邊沙鴎、近藤雪竹、比田井天来らと共に大正~昭和初期の書壇を担った立役者です。弟子の多さは比田井天来が圧倒していますが尋常小学校の教本で丹羽海鶴から影響を受けた書家はもっと多いのではないでしょうか?書家も様々なタイプがあり、弟子を増やす書家、日展で上を目指す野心的な書家から教員をしながら探求心が嵩じて掛軸、硯などを買い求め書家になったタイプなどいますが丹羽海鶴はそういった教員から書家になった類型だと思います。そういった書家は時代を揺らす掛軸作品はあまりないですが書道の基本に則った忠実な書道作品が多いようにも見えます。そういう意味では丹羽海鶴こそが書道の中心だったのかもしれません。
当社は丹羽海鶴の書道作品を買い取り、査定しています。ご自宅に眠っている掛軸、硯からよくわからない古いものがありましたらお気軽にお問い合わせください。
書道買い取り専門「すみのあと」では丹羽海鶴の掛軸作品の買い取りを強化しております。
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